こんにちは。よよよです(^^♪
突然ですが、『うちの夫シリーズ』というと大げさですが、平凡な家で育った私からすると、夫の育ってきた環境や考え方は色々と衝撃や刺激を受けるものがあり、記事にしていこうと思います。
正直、どんな内容になっていくのか私も分からないですが、軽い気持ちで読んでいただけると幸いです。
今日は、夫が15歳のときに単身アメリカの高校に進学したときの話。
その前にちょっと前置き。
私が育った環境と、夫が育った環境
私が育った環境
私、よよよは福岡市の山の近くで、ごくごく平凡に育ってきました。
小学校から大学まで、地元(実家から通える範囲)でずっとバスケットをしてきました。
心配性の母に無口な父。
門限が常にあり、まわりの友達よりも早く帰宅しないといけない。
親同士がよく知っている間柄ではないと泊まりになんていけない。
1人暮らしなんてもってのほか。
私はこの制限されている環境が嫌で嫌で育ってきました。
子供を持った今となっては、心配する気持ちも分かりますが、自分の子供にはもっともっと広い世界を見せてあげたい。
それと、私がこの母の心配性をぶち破ってまで、将来の明確なやりたいことを見つけられなかったともいえます。
〈広告〉
夫が育った環境
義母は、義母の父が銀行員で世界中に転勤があり、幼少のころから海外に住むことが多く、高校はアメリカ、大学は東京外語大、英語はネイティブのようにペラペラです。
ずっと仕事をバリバリしていて、これまでたくさんの生徒を世界のハイレベルの大学に合格させています。
義父は、島根の田舎で育ち頭が良く、大学は東京外語大、ここで義母と出会ったそうです。
中国語が話せて、留学関係の仕事をしています。
それ以外にも『脳みそどうなってんの!?』ってくらい(失礼)、知識量がハンパじゃありません。
男3兄弟を育てた(見た目も)パワフルな義母。
日本人的な考え方が少なく(行事を重視しないのでそれは楽)、人前で話したりするのも得意。
はっきりと自分の意見を持っているような、そんな家族です。
平凡な私からすると、家族になってみて、なんだか色々なことが衝撃でした。
15歳のときに単身アメリカの高校へ進学した夫
見送りなしで出発?
私が親の元を離れて生活するなんて夢にも思っていなかったとき。
(私と夫は同い年です)
夫はアメリカの高校に進学していました。
(夫も同じ福岡市在住でした)
3兄弟の3男。
お兄ちゃん2人もアメリカの大学を卒業しています。
まぁ、3男の夫がアメリカの学校に行くことは普通のことなんでしょうけど、衝撃だったのは、
見送りもなく家を出たってことです。
海外経験豊富&留学の仕事をしている義母と、事前に高校の見学へは1度一緒に行き。
その後、入学のためいざアメリカに出発っていう日は、両親ともに仕事だしってことで、空港への見送りももちろんなく、誰もいない家を夫ひとりスーツケースを持って「いってきまーす」って出たそうです。
15歳、中学校卒業して間もない子供がアメリカの高校に行くってなったら。
私、絶対
大丈夫かな?トラブルなく着けるかな?オロオロ さみしいな。さみしいな。ウルウル
ってなるな。
〈広告〉
乗り継ぎでトラブル、空港で1泊
日本ーダラスの飛行機が遅れて、
乗り継ぎの、ダラスーセントルイスの飛行機に間に合わず、インフォメーションの人になんとか英語で伝えて、次の便のチケットと10ドルの食事券をもらったそう。
無事にセントルイスに着いたものの、ホストファミリーの家は空港から車で2時間。
相乗りタクシーを予約してたけど、時間になっても夫が来ないからということで、既に出てしまっていて、空港で一夜を明かすことに…
ホストファミリーに公衆電話で電話すると「明日迎えに行くから~」と言われ、ガラーンとした空港でどうしていいかもわからず、スーツケースを抱いて座ったまま寝たそうです。笑
一度、トイレだったら鍵がかかるし安全かな~と思って行ってみたらしいのですが、海外のトイレってドアの下が、足が見えるように開いてるんですよね。
だから、「これ、逆に危なくないか?」と思って、ロビーのイスを選択したそうです。
「nurse」が通じない
よくある、エージェントを使って、日本人何人かのグループで一緒に留学するってなると、あまりない苦労なのかもしれません。
これに限らずかもしれませんが。
夫が学校の施設のプールの飛び込み台に上がって、高すぎて断念し(笑)、飛び込み台から降りているとき。
どこかから飛び出ていたナットにお腹をひっかけて、めっちゃくちゃ痛かったそう。
そして、「nurse」を使って、
保健室に行きたい!どこ?
って聞いてるけど、どーしても伝わらなくて、痛いお腹を出して必死でジェスチャーで伝えたそうです。
他にも、「locker」がどうしても伝わらなかったり、色々苦労したそうです。
カーボン紙で隣の席の女の子にノートを写させてもらう
授業中、先生が黒板に書いて消すのが速くて間に合わない&先生の字が汚くてなんて書いているか分からなかったそう。笑
(日本では癖のある英語の字ってあんまり見ないですもんね)
それで、先生に
ノート写せないんだけど!
って言ったら
隣の席の〇〇に、ノートにカーボン紙挟んでノートとってもらえ!
って先生。
ざ、ざんしん
と思ったそう。
でもこれがとても助かったそうで。
必死に勉強したそうです。
〈広告〉
『単身』留学をして得られること
今まで書いてきたように、夫は15歳でひとりアメリカまで行きました。
日本の学校で、英語の成績は良い方だったそうですが、それでも実際現地にいくとなかなか通じないし、文化や環境も違う。
ほとんど日本人がいない高校で、単位は取らないいけないので、なんとか勉強し、『どうしたら遅れずについていけるか?』を自分で考え、自分で行動したそうです。
特に当時は今みたいにLINEとかで気軽に日本と連絡が取れる環境ではなかったですしね。
最初にも書きましたが、私は部活は頑張ってきたけど、15歳のとき、こんな世界があることすら考えもしませんでした。
もともとの家庭環境もあると思いますが、この留学で、自分で考えて行動するということを自然と身につけたのだと思います。
義両親の、過保護すぎず、当たり前のように子供を信頼して送り出すことができる育児。
これは、義両親の育ってきた環境にもよるものだと思います。
4歳の息子。
今はあまちゃんのへなへなですが、将来、私は自分が進んできた道よりも、夫の歩いてきた道を進んでほしいと思っています。
可愛い子には旅をさせよ
若いうちに広い世界を知って、将来の選択肢をたくさん持って、自分の能力を知って、自分のやりたいこと、自分にできることを見つけてほしいです。
見つけたときに、そうさせてあげられるように、
働かねば!